あっという間に今年も終わっちゃうね。

年末といえばジャニーズのカウントダウンコンサートが毎年あるじゃないですか。

社員の人がそれに当選して休むために嘘をついたりと色々売場をひっかきまわして結果やめていきました。

その人の人生だから全く止めようとは思わないけど共感はできなかった。

アイドルの好きになり方は多種多様だね、アイドルに限らずかもしれないけど。


FNS歌謡祭で平井堅のノンフィクションに合わせて踊る平手友梨奈さんを見てえらく感動したわけですが、ノンフィクションという曲は友人が亡くなったことを書いた曲だと知り、平井堅の歌を聞いてはじめて泣いてしまった。昔から平井堅の歌い方が苦手だったんだけどめちゃくちゃ歌がうまいな〜と思った。


私は年上や目上の人に気を使うのがとても苦手なんですけど、それは当たり前だと思って最近開き直るようになりました。

例えば典型的な飲み会の席でも、後輩の飲み物がなくなっていたら頼みづらいのかな〜何飲むか聞いてあげよう。と自然に思えるんだけど、おじさんの空のグラスは全く目に入ってこない。喋ってるおじさんの話を中断して何頼みますか?と聞くのも面倒くさいので無視しています。

小学生の時は、高学年の人が低学年の面倒を見てあげようねというスタンスだったのに、どうしてそれが中学になると突然先輩後輩の上下関係になるのかが分からない。

部活においても後輩が掃除やゴミ捨てや雑用しろという風潮が普通かもしれないけど、それは誰がやったっていいし、上級生の方がどうしたって周りが見れるし余裕もあるんだから先輩がやった方がいいんじゃないかなと思う時もあった。

兄弟がいる人は下の子の面倒をみるよう育ってきたのにどうしていきなり年上に気を使わなければいけなくなるのかが理解できない。

どうして突然物事の常識って変わるんだろう。

高校生は化粧が禁止なのに社会に出たとたんそれがマナーとか、そういう類も全く理解ができない。


最近アートらしきものに全く触れていないなぁ。

芸森のビュッフェいってみたい。。


さなえ

27歳の恋なんて

札幌国際芸術祭、やってたよね。なにか見に行った?私ほとんど見れなかったんだけど、次回はのんちゃんがディレクターになってくれたら良いなと思った。地域を盛り上げるならもっとポップで、もっとお手軽で良いんだとおもう。

 

でね、芸術の森ボアダムスってゆー結構前衛的な音楽集団の創始者山塚アイという人が展示をしていたので唯一それだけ見に行った。マークがおしゃれだなと思った。(写真撮ったら知らんおばさんが見切れてしまった笑)

 

展示の内容はまあ良かったんだけど、見終わって帰ろうと思ったら、みつはし先生に遭遇しました。声をかけたら元気そうに笑っていた。中年の男性と2人で来ていた。

 

私の姿を見て思い出しただろうか?たっきーのことを少しでも思い出しただろうか。たっきーを思い何を考えただろう。

そんなことを思いながら、芸森のランチビュッフェに行った。あれはかなり良いビュッフェ。おすすめ

 

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たっきーがいなくてもアラサーを楽しもうね。

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それにしてもデイドリーム・ビリーバーだったよね

ブログにタイトルをつけてみた。暇すぎる。みんな好きに変えてほしい。

なんか長くなってしまったので適当に読んだり読まなかったりしてください。

 

久々に覗いてふたりとも更新してると嬉しい。あたたかくなってきたし、お墓に行きたいね。私が生きるのが楽になったと感じる最大の理由は、自分について折り合いがついてきた(付けられるようになった)というところな気がする。私も家族にはほとんど何も言われない(諦めてと私が念を押している為)が、職場ではよく「はやく結婚して子供産んだ方がいいよ」とかいつも言われる。家族にしろ職場の人間にしろ何を言われようが「生きるのは私だ」と開き直って聞き流すようにしている。最近は何もかもオールオッケー、多様性全受容の時代になってきている(まだ差別とかはなくなってはいないけど、差別というよりも理解や認知が及んでいなくて配慮の仕方が分からないだけだと思う)のを感じていて、それに便乗して私もこれでオールオッケーなんだという気持ちになってきています。つまりオバサン化。図々しくなっていく自分に怯える毎日。

 

たまに自殺が悪なのか?ということを考える。生きてるだけでオッケー、でもだからといって死ぬのが悪いことではない。ただ死んだら何もかもが終わりだから終わりにしたいならどうぞ勝手に死んでください。というのが私の考えです。最愛の友人を亡くしたけれど、やっぱりそう思います。あの子が本当に人生を終わらせたかったのなら仕方がないと思う。だけど本当にそうだったのか?知る術がないことと、誰ひとりとして何の支えにもなれなかったことがいつまでも心に引っ掛かるのです。でもさ、もしたっきーの本心が「人生を終わりにしたかった」のだとしたら辛すぎるから、未来永劫知らないままでいいんだと思う。

 

デイドリームビリーバーの歌詞のこと、そういえばそんなに深く考えたことがなかったです。二人の日記を読んで、確かにそうだなあと思った。それで、気になって原曲の歌詞を調べてみたんだけど、原曲の”クイーン”はhomecoming queen(=学園内などで注目の美人)みたいで、内容的には「お金がなくても僕たちなら楽しくて幸せだよね(だけど本当はお金がいくらあればいいんだろう?」という感じ。「まったく(美人の彼女と付き合えたからって)浮かれちゃってしっかりしなさいよ~」みたいな茶目っ気のある曲で、そもそも喪失の曲ではないみたいだった。だからCMで使われているのはプライスレスな幸福、だとかセ/ブ/ン/イ/レ/ブ/ン”いい気分”=夢見心地=Day dreamと思えば合点がいくような気がしないでもない。

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たっきーは忌野清志郎のデイドリーム・ビリーバーが好きだっただろうけど、原曲の歌詞は全然違うってことであのコンビニを許してあげられないだろうか?違うか・・・。

ちなみに私は最近、あの店内BGMを全く気にしなくなっていました。愚鈍。

こうやって記憶の何もかもが薄れていって、そして私も忘れられていくんだと思う。誰かの忘れられない人になるくらいなら、たった今この瞬間からとっとと忘れてもらいたい。なんて考える一方で、本当はそんなの寂しいじゃんと思っている。矛盾。

 

歌詞の内容はさておいても、たっきーにはデイドリーム・ビリーバーという単語がすごくピッタリだよね。まるでテーマソングみたいに似合っていたと思う。確かに歌詞はすごく残酷だけれど。お葬式が終わってエンドロールが流れるみたいにあの曲が掛かったとき、鳥肌がたった。たっきーのことを愛おしく感じて、たまらなく悲しかった。

 

どうでもいい話をまだまだ続けてもいいですか。暇なのです。

なんでセブンで使われ続けているのか、3.11被災者への思い?とか色々考えつつ調べてみたら、単純に1.長年親しまれてきた名曲であること、2.社内評価が高いこと、が理由なのだそうです。全部ネットで調べたことなので真偽は分かりませんが。拍子抜け!

 

独居生活楽しすぎて誰とも遊ぶ気が起きない。誰もいない家で何もしないということがこんなに楽しいとは・・・。生活を営むということにこんなにも娯楽が溢れているとは・・・。もう死ぬまでこのままでいい気がしている。なんて思いながら、本当はそんなの寂しいじゃんと思っている。だせぇ・・。

 

駄文長文スマソおわり

たっきーはトマトをたくさん食べていたから白いのか

たっきーのことについて、当初はどうにかして過去に戻ってどうにかすることは出来ないのか?と考えていた、というか私は昔から悲しいことがあるとすぐ時間を戻す方法を調べる現実逃避癖があるんだけど、最近浅田真央さんがテレビで「過去に戻れることはないので昔の自分にかける言葉はない」ときっぱり言っていて妙にスッキリした。科学的に時間は元に戻せないうんぬんを説明されるよりずっと、あ、ほんとに無理なんだ。とようやく理解できた。ありがとう真央ちゃん。

 

私もなおと一緒で、歳を重ねるごとに楽になっていることと、そうでないことのどっちもあるかなあ。昔すごくコンプレックスだったことや劣等感だったことがどうでも良くなったりもするけど悩みが無くなるわけではない。今のところ一生こうな気がしているし、将来への漠然とした不安みたいなものはなくならない。

 

私は親に「結婚」とか「孫」とかそういう話を一切されたことがありませんでした。

でも先日祖母が亡くなって、四十九日法要で納骨堂に行ったら消防法の関係で納骨壇を買い替える必要がある話をされた。割とそれも驚いたけど大きさによって納骨できる量と金額が変わってくるのでどうしようね~となり、そこではじめて母親に「さなえもお嫁にいくかもしれないからお父さんとお母さんのあとは誰も入らないかもしれないしね」と言われた。

お母さんは実家ではなく菊地の墓に入るのか。(そりゃそうなんだけど)

私は結婚したら相手の墓に入るのか。

ていうか私が生涯独身でもここに入る人は自分が最後なのか。

私が死んだあとってこの納骨壇はどうなるんだろう・・・。

いろんな感情がごちゃまぜになりすぎて「そうだよね・・・。」としか言えなかった。

 

友達の誕生日に死後の話ばかりしてすみません。

たっきーにツイッターのDMをたまに送ってしまうんだけど、名探偵コナン灰原哀が何かあった日は死んだ姉の留守電についついメッセージを吹き込んでしまうのを見て親近感を覚えた。

 

職場の人に夕張メロン農家との婚活パーティをすすめられたけど農家は大変だと思う。しかしメロン農家は農家の中でもヒエラルキー高めらしいけどどうなんだろう。日焼けしたくない。白くなりたい。

未婚の子供をもつ親のための婚活セミナー

お墓参り、私も行けたらいいなと思ってた。4月末か5月始めくらいに行けるかな。


デイドリームビリーバーの件、本当にずっと使われ続けていて、当時きっと1年くらいだろうと思っていたのに変わらず店内でもエンドレスサビなので私も店に入る度色々思い出すし毎回内臓が若干重くなったような不調を感じる。

一連のお経やお話が終わって、お棺の前で泣きながらしゃがみこんだ茜や空いた窓のところから顔を見て口元を手で押さえるさなえちゃんの映像も思い出す。お通夜の日のことで1番頭に蘇ってくるの、皆が顔を見せてもらってる時瀧さんのお父さんが棺を小さい子寝かしつける時みたくずっと優しく手でポンポンしてた映像。


デイドリームビリーバーは名曲だから他の映画や雑貨屋のBGMとしてもばんばん使われているので避けようもない。


私はあの曲の歌詞をお葬式で聞いてから初めて調べたけれど、ずっと夢を見て今も見てるというのは忌野清志郎のお母さんが死んでしまった事に対する清志郎の気持ちなのだろうか。

全然違ったらすみません。恥ずかしい。

歌詞を聞いてると、それまで自分は当たり前に気楽に暮らしていてそれがずっと続くとしか思っていなかったのが、急に状況が変わって今までが楽しい夢だったのかこうなってしまった現実が怖い夢なのかわからないという当時のぼんやりした感覚をよく自覚させられるなぁと思う。

セブンアンドアイのCMで見せられている家族団欒一緒におでんみたいな暖かみのある光景が一気に儚く都合の良い虚像や誰かの幻想、または回想であることを示唆しているように思えてきて、そんなのCMとしてダメじゃないか。他の使用場面でも、何楽しくのどかなひと時の象徴みたいな感じで使われてんだ?あのテーマ曲であるということは、幸せな団欒を最中ではなく過去形として振り返ってるということじゃないですか?あのCMには実は皮肉や教訓をこめられた側面があったのか?

それにしても歌い出しがもう彼女はどこにもいない♩なんてあの場で聞いた曲の歌い出しとしてあまりにも酷くないですか。そう思って2013年から2017年まで過ごしてきたよ。


生きやすさについて、私は年々ある面では生きやすくなっているけど違う面では生き辛いなと感じているよ。将来イオンのフードコート周辺をブツブツ呟きながら徘徊するキチガイホームレスおばさんになるんじゃないかという不安がある。人間になりたい。

27歳になる綾子ちゃんならどうだったかな。勝手な予想をする事しかできないね。色々話したいな。



近況

最近「お嬢さん」という映画を見ました。美しさが最高でした。主人公の女の子がこぶしファクトリーの野村みなみなさんに似てた。

それで帰ってきたら冷蔵庫に「未婚の子どもをもつ親のための婚活セミナー」という新聞の切り抜きが貼ってあった。失踪したくなった。

なお

いまるちゃん

生きてるだけでOK!まァイロイロあるケド

生きてるだけでOK!他に何がいるのさ?コレでOK!

ふとパソコンに入っているたっきーのカラオケ音源を聞いたらそんなことを歌っていて腹が立ったのでブログを開いたらさなえちゃんが更新していて少し落ち着いた。こんな皮肉ってある?全く笑えないよ。死んでんじゃねーよ!

 

たっきーのことをふと思い出すけれど、もう自分の中で「どうにもならないこと」として受け入れてしまった感覚がある。納得いかないし悔しいとは思うけどもう何を思っても二度と会えないし帰ってこない。何事もどうにでもなれと思っているけれど、何をどうやってもどうにもならないことについて考えるのが最近、苦手になってきた。本当にどうにもならないのか?とはたまに思うけど、やっぱりどうにもなんない。死んだらもう終わり。何もかも。愛も友情も相手(対象)が死んだら終わりだと思う。同じ時間を進めない時点で、もう何もかも終わりだと最近なんだか強く思う。

私がどんなに一緒にいたくても何の返事も(拒否の意思すら)受け取れなくなるのだからそれはつまりコミュニケーションや人間関係として「無」というそんな気がするので死んだあの子は親友だったけど今はもう親友と呼べる相手ではないのではないかみたいなとても寂しいことを思ってしまったです。

 

いきなりだけど、私は歳を重ねるごとに生きやすくなっていっているんだけれど、みんなはどうですか?ということをたっきーにも聞きたかった、どうにもなんないこと考えさせないでほしいよ本当に。帰ってきてよー。

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にせんじゅうななねん

セブンイレブンのコマーシャルや店内でいつまでデイドリームビリーバーが流れるんだろう・・・と思ってはや4年以上が経ってしまった。

使われなくどころかインストとか女性がカバーしたバージョンとかも流れていてその度ほの暗い気持ちになる。

 

今年ももうすぐたっきーの誕生日ですね。

行けたらその付近でお墓参りにでも行きたいなぁ。

 

さなえ

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