それにしてもデイドリーム・ビリーバーだったよね

ブログにタイトルをつけてみた。暇すぎる。みんな好きに変えてほしい。

なんか長くなってしまったので適当に読んだり読まなかったりしてください。

 

久々に覗いてふたりとも更新してると嬉しい。あたたかくなってきたし、お墓に行きたいね。私が生きるのが楽になったと感じる最大の理由は、自分について折り合いがついてきた(付けられるようになった)というところな気がする。私も家族にはほとんど何も言われない(諦めてと私が念を押している為)が、職場ではよく「はやく結婚して子供産んだ方がいいよ」とかいつも言われる。家族にしろ職場の人間にしろ何を言われようが「生きるのは私だ」と開き直って聞き流すようにしている。最近は何もかもオールオッケー、多様性全受容の時代になってきている(まだ差別とかはなくなってはいないけど、差別というよりも理解や認知が及んでいなくて配慮の仕方が分からないだけだと思う)のを感じていて、それに便乗して私もこれでオールオッケーなんだという気持ちになってきています。つまりオバサン化。図々しくなっていく自分に怯える毎日。

 

たまに自殺が悪なのか?ということを考える。生きてるだけでオッケー、でもだからといって死ぬのが悪いことではない。ただ死んだら何もかもが終わりだから終わりにしたいならどうぞ勝手に死んでください。というのが私の考えです。最愛の友人を亡くしたけれど、やっぱりそう思います。あの子が本当に人生を終わらせたかったのなら仕方がないと思う。だけど本当にそうだったのか?知る術がないことと、誰ひとりとして何の支えにもなれなかったことがいつまでも心に引っ掛かるのです。でもさ、もしたっきーの本心が「人生を終わりにしたかった」のだとしたら辛すぎるから、未来永劫知らないままでいいんだと思う。

 

デイドリームビリーバーの歌詞のこと、そういえばそんなに深く考えたことがなかったです。二人の日記を読んで、確かにそうだなあと思った。それで、気になって原曲の歌詞を調べてみたんだけど、原曲の”クイーン”はhomecoming queen(=学園内などで注目の美人)みたいで、内容的には「お金がなくても僕たちなら楽しくて幸せだよね(だけど本当はお金がいくらあればいいんだろう?」という感じ。「まったく(美人の彼女と付き合えたからって)浮かれちゃってしっかりしなさいよ~」みたいな茶目っ気のある曲で、そもそも喪失の曲ではないみたいだった。だからCMで使われているのはプライスレスな幸福、だとかセ/ブ/ン/イ/レ/ブ/ン”いい気分”=夢見心地=Day dreamと思えば合点がいくような気がしないでもない。

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たっきーは忌野清志郎のデイドリーム・ビリーバーが好きだっただろうけど、原曲の歌詞は全然違うってことであのコンビニを許してあげられないだろうか?違うか・・・。

ちなみに私は最近、あの店内BGMを全く気にしなくなっていました。愚鈍。

こうやって記憶の何もかもが薄れていって、そして私も忘れられていくんだと思う。誰かの忘れられない人になるくらいなら、たった今この瞬間からとっとと忘れてもらいたい。なんて考える一方で、本当はそんなの寂しいじゃんと思っている。矛盾。

 

歌詞の内容はさておいても、たっきーにはデイドリーム・ビリーバーという単語がすごくピッタリだよね。まるでテーマソングみたいに似合っていたと思う。確かに歌詞はすごく残酷だけれど。お葬式が終わってエンドロールが流れるみたいにあの曲が掛かったとき、鳥肌がたった。たっきーのことを愛おしく感じて、たまらなく悲しかった。

 

どうでもいい話をまだまだ続けてもいいですか。暇なのです。

なんでセブンで使われ続けているのか、3.11被災者への思い?とか色々考えつつ調べてみたら、単純に1.長年親しまれてきた名曲であること、2.社内評価が高いこと、が理由なのだそうです。全部ネットで調べたことなので真偽は分かりませんが。拍子抜け!

 

独居生活楽しすぎて誰とも遊ぶ気が起きない。誰もいない家で何もしないということがこんなに楽しいとは・・・。生活を営むということにこんなにも娯楽が溢れているとは・・・。もう死ぬまでこのままでいい気がしている。なんて思いながら、本当はそんなの寂しいじゃんと思っている。だせぇ・・。

 

駄文長文スマソおわり