呪いの秋

さなえちゃんお祝いありがとう。これでみんな26歳だね、たっきーを除いて。私たちはこれからも子どもおばさん道を突き進む他ないわけだけど、それもなかなか悪くないのかも、と思ってる。でも、たっきーがいたらもっと悪くない人生になってたはずなんだよね。そんなこと考えたって仕方がないんだけど。

 

なおちゃんの前回のブログ、私怨が篭っててすごくゾッとした。今頃具合悪くなってるんじゃないかな、みつはし先生。

 

facebookでみんなの楽しそうな写真見て変わってないなーと思った。大学時代、初めてみんなと会話をした時からきっと変わっていない。当時、あの子たちとは幸せの形がまったく違うんだ、私のことなど分かってはもらえないだろうという偏見があったそのままに、気付けば、歩む人生にも決して交わることのない隔たりが出来ていた。まあ、私から距離を置いてるんだから当たり前だよね。かつての同級生なんて所詮その程度だ。

 

修士論文の件、私も直接聞いてたらその場でブチ切れてたかもしれない。でも、彼女にしてみたら(彼女たちの基準において)幸せじゃない女の醜いやっかみぐらいにしか捉えてもらえないんじゃないか、とも思う。

 

あの先生には何を言っても無駄だと思う。何を打っても響かない人なんだろう。マネジメントとはいえ、芸術とともに生きる教員の感性として全く信頼できないし尊敬もしていない。もちろん人間としても女としても、あの先生の言葉が胸に響いたことは一度もない。興味深いことを言っていたような記憶も全くない。

そしてその事は多分、たっきーも感じていたはず。だから福山先生に論文を見せてたんだと思うんだ。みつはし先生は自分がたっきーに見切りをつけられたことも知らないし、私たちの気持ちも一生分からないだろう。

あの人は本当に、何もしていない。何もしていないから、たっきーの事も他人事でいられるんだと、私は感じている。

これらは私の勝手な憶測だから真相は分からないけれど、間違ってない気がするんだよね。あの人には何を言っても無駄だから、もう殺すぐらいしか方法ないんだけど、あんな人間のために人生を棒に振るのもバカバカしいから、このブログで末代まで呪ってやろうね。

 

 

 

 

福山先生はあの日の直後「私が何か出来たはずなのに」と言って泣いていました。

 これから、お墓参りに行ってきます。