未婚の子供をもつ親のための婚活セミナー

お墓参り、私も行けたらいいなと思ってた。4月末か5月始めくらいに行けるかな。


デイドリームビリーバーの件、本当にずっと使われ続けていて、当時きっと1年くらいだろうと思っていたのに変わらず店内でもエンドレスサビなので私も店に入る度色々思い出すし毎回内臓が若干重くなったような不調を感じる。

一連のお経やお話が終わって、お棺の前で泣きながらしゃがみこんだ茜や空いた窓のところから顔を見て口元を手で押さえるさなえちゃんの映像も思い出す。お通夜の日のことで1番頭に蘇ってくるの、皆が顔を見せてもらってる時瀧さんのお父さんが棺を小さい子寝かしつける時みたくずっと優しく手でポンポンしてた映像。


デイドリームビリーバーは名曲だから他の映画や雑貨屋のBGMとしてもばんばん使われているので避けようもない。


私はあの曲の歌詞をお葬式で聞いてから初めて調べたけれど、ずっと夢を見て今も見てるというのは忌野清志郎のお母さんが死んでしまった事に対する清志郎の気持ちなのだろうか。

全然違ったらすみません。恥ずかしい。

歌詞を聞いてると、それまで自分は当たり前に気楽に暮らしていてそれがずっと続くとしか思っていなかったのが、急に状況が変わって今までが楽しい夢だったのかこうなってしまった現実が怖い夢なのかわからないという当時のぼんやりした感覚をよく自覚させられるなぁと思う。

セブンアンドアイのCMで見せられている家族団欒一緒におでんみたいな暖かみのある光景が一気に儚く都合の良い虚像や誰かの幻想、または回想であることを示唆しているように思えてきて、そんなのCMとしてダメじゃないか。他の使用場面でも、何楽しくのどかなひと時の象徴みたいな感じで使われてんだ?あのテーマ曲であるということは、幸せな団欒を最中ではなく過去形として振り返ってるということじゃないですか?あのCMには実は皮肉や教訓をこめられた側面があったのか?

それにしても歌い出しがもう彼女はどこにもいない♩なんてあの場で聞いた曲の歌い出しとしてあまりにも酷くないですか。そう思って2013年から2017年まで過ごしてきたよ。


生きやすさについて、私は年々ある面では生きやすくなっているけど違う面では生き辛いなと感じているよ。将来イオンのフードコート周辺をブツブツ呟きながら徘徊するキチガイホームレスおばさんになるんじゃないかという不安がある。人間になりたい。

27歳になる綾子ちゃんならどうだったかな。勝手な予想をする事しかできないね。色々話したいな。



近況

最近「お嬢さん」という映画を見ました。美しさが最高でした。主人公の女の子がこぶしファクトリーの野村みなみなさんに似てた。

それで帰ってきたら冷蔵庫に「未婚の子どもをもつ親のための婚活セミナー」という新聞の切り抜きが貼ってあった。失踪したくなった。

なお